3月29日 「怒られる」と「叱られる」。

そういえば、私は親からあまり怒られた記憶がありません。

確かに自分でもそんなに悪いことはしてこなかった気はするのですが笑

ただ、叱られたことは沢山あります。

 

どう違うの?と思われる方もいらっしゃるでしょうし、どうせ精神論的な話でしょ?と思われる方もいるでしょう。

 

まぁ。そうです。だいたいそうです。適当な日記なので、あまり画期的な意見を期待しないでいただきたい(๑•∀•๑)

 

話を戻しますが。

最近はビジネス書でも「叱り方」なんて本、よく見かけますよね。皆さんそんなに苦労してらっしゃるんだろうか。うーん。確かに私もかなりゆとってきたので、怒られ耐性は弱いかな。

こういうのって怒る方、叱る方からの発信が多いですが、私は怒られる方、叱られる方の姿勢や受け取り方も大事じゃないかなと思うのです。

親、教師、先輩、初対面の人、色々な人に自分の行動について言及されることって、今まで良くも悪くもあっただろうし、これから先もあると思う。

私もありました。でも子供だったからこそ(あ、いまこの人「叱って」るんじゃなくて「怒って」るな)みたいな分析はしてたような気がします。

 

「怒られる」ときは確かに自分も悪いけど、相手も感情を優先してしまうからだんだんと論点がズレてくる。そして怒られた後は関係を修復するのに時間がかかる。

「叱られる」ときは感情任せではなく自分の行動を客観的に判断してくれているので、方向性ブレないし解決策が出てきやすい。そして次の日にはお互いケロっとしてる気がする。

 

自分の親は比較的叱ってくれることの方が多かったので今となっては有難いです。けど世の中、叱ってくれる人なんて1握りしかいない。だいたいのひと、他人であれば尚更、勝手にあきらめてこう言ってくれるのです。

「しょうがないよね。大変だもんね。」

これ言われたら確かに楽だけど、1番きつい。責められるわけでもなく、でも絶対に認めては貰えていない。

 

私も使っちゃいがち。だって楽だもん。それ以上その人のことを考えなくても済むし、相手には嫌われない。

処世術としては大切かもしれないけど、大事な人には使わないようにしたいな。

 

はい!今日のお勉強!

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デルタが書けない。何回書いてもδが8にしか見えない。慣れなのかな?